いわゆる毒親ってことだと思うんですが。
あるじゃないですか、親ガチャ。
「周りの親はこうなのにうちは。。」みたいなケースが頻発するやつ。
物心がつくまでは子供サイドとしての自分にとって、親は自分の親という1つのパターンしか知らないわけで。
で、肉体的にも精神的にも小さな頃は逆らいようもない。。
世界は広くてパターンはいろいろあるけど、自分の家庭環境以外のことはわからない。
そんなこんなで歪んだ「当たり前」が生まれるわけです。
自分の環境はたくさんあるうちの、悲しい寄りのパターンの1つ。あくまで。
そういうことが、幼い頃は把握できない。
そりゃそうなんですが。
で、思春期になって反抗期っぽいものがでて自分なりに考えて、「あれ?うちなんか周りと違うぞ?」みたいになるわけで。
育ってきた環境なんてそれぞれですが、せっかくなら良い側で育ちたかった。
そう思うのは当然だし、わたしも良いとこで育ちたかったw
まあ、良い環境では良い環境ならではの苦悩がおそらくはあるんでしょうけれど。
隣の芝生ってのはいつだって青々しく輝いて見えがちだし。
親側の意見、それも毒めいた親は「出来が悪い」だの「親だって子供を選べない」とか言いますけど、なんだかなぁと。
つくるつくらないは選べるし、出来が悪いというのであれば育て方が悪いってのが原因じゃないのと。
先天的なものは仕方ない側面もありますが、毒親は後天的なものについて自分の非を棚に上げて子を攻撃してますよね。だいたいにおいて。
大前提として、子を守るのが親でしょう?
成長を促すべき存在(親)が育ってく子を邪魔するのはおかしな話で。
「親ガチャ」なんて皮肉めいた言葉が生まれるのもわかるわーと。
ノーマル・レアの格付けは子供たちが「自分は幸せか?」といった尺度ですればいい。
反面教師という言葉を実行していけるほど、すべての子供は強くない。
判断能力ができあがるまでは親が子供を導くのが筋ってもんだろう。
そう思うわけです。
あくまで子供主体で、ね。
お読みいただきありがとうございます。
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