3/01/2022

生きる理由とか死ぬ理由とか。

お疲れさまです。


死生観ってやつですかね。
わたし、人の生き死にに対する考え方についてはフラットな姿勢をもってます。
生きたい人の情熱も死にたい人の絶望も、どちらスッと聞き入れてしまいます。
人様の意見を否定するほど、わたしはなにもかも知っているわけではありませんし。


なのでこれから綴るのは個人的な考え方に過ぎません。
異論・反論大いにあることでしょうし、そうした御意見もまた正しいんだと思います。


んで、わたしの死生観。
現代科学やら文明だと、とりあえずいつかは例外なく亡くなります。
亡くなると、自分の未来という意味での先は、消えます。
あるかも知れなかった良いことも、いらなかった悪いことも、もう感じることはありません。
「先行きが見えなくて不安」という話がありますが、先行きにあるのは不安だと確定してるわけじゃありません。
寿命を10でみたときに良いこと悪いことが平等に1:1で訪れるかはわかりません。

8:2で苦労される人もいれば、7:3で幸せな人もいるだろうし、10:0なんて人もいるかも知れない。


ただ、人間の特権かも知れませんが、人には知性というものがあります。
10の人生に「幸せ」「不幸」の色を塗ることができるんです。
好きなように飾り付けをすることができるんです。
まぁ、その知性を偏らせる大きな影響をもつ「感情」ってやつもいるんですけども。



なにが言いたいのかというと。
理由なんていらないんです。
生きるにしても死ぬにしても。
「なんか、今はなんもないけどこれから良いことあるかもしれんしとりあえず生きとこ」くらいにゆるくて全然良い。
推奨する気はないけれど「特別原因があるわけじゃないけど苦しいしツラい」というのなら仕方ないのかも知れない。


わたしは、確実に被害者のでるような迷惑ごとや猟奇的な話でもない限りはなにごともフラットに受け止めようと思っています。
その人の感情は、その人の意見は、その人の決断は、その人のものだから。


ありのままで生きられたらなって、思いますよね。



お読みいただきありがとうございます。

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